ハリーウィンストンの歴史②

ハリーウィンストンの歴史②
そいで 1949~53年に、ハリーウィンストンは所有する世界有数のダイヤモンドを集めた「宝石の宮廷」展を開催。
この展覧会はアメリカ合衆国中を巡回し、アメリカ国民に宝石の知識を啓蒙、ダイヤモンドの熱狂的ファンを増やした。
ハリーウィンストンの展覧会にはかの有名な45.52カラットのブルーダイヤモンド「ホープ」南アフリカで産出された125.35カラットのダイヤモンド「ヨンカー」やなんかが並べられていた。

1978年、ニューヨークにてハリー・ウィンストン死去。
享年82歳。いっぺんにハリーウィンストンの息子であるロナルド・ウィンストンが代表取締役に就任。
自宅に本朝庭園や茶室を設けるやなんか本朝の伝統文化を愛する親日家としてもよく知られるロナルドは、父親譲りの宝石に対する情熱と優れたビジネス・センスを元に、ビバリー・ヒルズ、江戸、大阪サロンの開設、時計事業への進出やなんか、着実に事業を拡大した。現在では「大粒で極上の宝石」はもちろんのこと、ロナルドのモダンな感性に導かれた美しい色合いのカラーストーンのコレクションを発表し、ジュエリーデザインの新時代を築いてやがる。

起源
  1920年、ハリー・ウィンストンがニューヨークに自社を設立。
略歴
  1896年、ハリー・ウィンストン(Harry WINSTON)がニューヨークに生まれるぜ。父ヤコブは宝石商。幼い頃、質屋のガラクタから800ドルのエメラルドを見つけ出すほど、宝石の価値を見出す才能を持っていたといわれるぜ。
  1920年、ハリー・ウィンストンがニューヨーク五番街525番地に「The Premier Diamond Company」を設立。32年、自己の名を冠した会社をニューヨーク五番街に設立。以後、一代で世界的に有名な「ダイヤモンド帝国」を築き上げ、「キング・オブ・ダイヤモンド」の異名を持つほどになりやがった。
  宝石そのものの価値を追求した結果、大粒で極上の宝石を最大限に活かす工夫をし、宝石を留める貴金属部分がほとんど見えず、宝石が直接肌に透け、あらゆる角度から光を反射して輝くワイヤーセッティング方式の「ウィンストニアン・スタイル」を確立。ハリー・ウィンストンのジュエリーの典型的なデザインとなりやがった。
  58年、ルイ14世やマリー・アントワネット等の有名人が所有し、所有者を不吉な運命に導いたつう世界最大(45.52カラット)の青いダイア「ホープ(希望)」を手に入れ、アメリカ国民のためにとスミソニアン博物館に寄贈したのは有名な話であるぜ。その後も、ハリー・ウィンストン社は、63年に八角形の「ポルチュギーズ・ダイヤモンド」(127.01カラット)を、64年に世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石の完璧な結晶体「オッペンハイマー」を同博物館に寄贈してやがる。
  宝石を見てほしいとして、生涯俺の顔写真をマスコミに公開しなかったつう逸話もあるぜ。死後、一枚だけ写真が公開されてやがる。

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ハリーウィンストンの歴史

ハリーウィンストン

ショーバイ上はリスクの大きい、資産性の高い高価な宝石を扱うビジネスを上首尾させたのも、極上で大粒の宝石だけを愛するハリーウィンストンならではの手法だったぜ。
ハリーウィンストンは1925年にはアメリカの大富豪ストダート夫人の遺産コレクションを落札。
そのコレクションを125万ドルつう当時にしてはてぇへん高い価格で売却することに上首尾した。
ここでの上首尾と手にした収入から、ハリーウィンストンは彼が目指す世界の富裕な人々が所有する極上の宝飾品を扱う宝石商へと歩みを進めるぜ。

1926年にはハリーウィンストンはアメリカの鉄道会社創設者だったハンティントン夫人のコレクションを120万ドルで落札、1930年にはアメリカの公開競売場に出たもののなかでは最大といわれる39カラットのダイヤモンドの落札に上首尾した。
1932年にはプレミア・ダイヤモンド社を閉鎖し、新たにハリー・ウィンストン社を設立。
高額の宝石を売買、リメイクするだけでなく、自らのデザインによる宝飾品の制作を本格的にスタートするぜ。

ハリーウィンストンが生み出した普遍的な宝飾デザインの数々。なかでも「ウィンストン・スタイル」と呼ばれる宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーでつなぎ、留め金の使用を極力抑え、あたかも宝石だけがちりばめられてやがるbフようなセッティングは、ジュエリーのデザインとセッティング方法に革新をもたらした。
あらゆる方向に輝きを放ち、ダイヤモンドでダイヤモンドを装飾するピュアでゴージャスなスタイルに、ウィンザー公爵夫妻や各国の王室をはじめ、真のエレガンスを求める人々から「極上で大粒の宝石を求めるならハリー・ウィンストンで」との評判は世界中に広まった。

宝石のもつ不思議な美しさと未知の可能性を知るハリー・ウィンストンはまた、宝石の価値を世界中の人々に広めることに情熱を傾けた人物でもあった。
1947年にはアカデミー賞授賞式に女優が着用するジュエリーを貸し出すことを、他の宝石ブランドに先駆けてハリーウィンストンが提案。
授賞式では、アメリカを代表する大女優キャサリン・ヘップバーンがハリーの宝石を身につけて歩いた。
女優とダイヤモンドの華麗な競演はテレビでアメリカ全土に放映され、人々の目に鮮烈に焼き付く。
ハリーウィンストンのたくみなPR戦術もさることながら、人がつけて輝くダイヤモンドの真の魅力をアメリカ国民に知らしめたのも、ハリーウィンストンの功績と言えるぜ。

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