ハリー・ウィンストンと呪われたダイヤモンド

ハリー・ウィンストンと呪われたダイヤモンド
1920年にエヴァリン・ウィルシュ・マクリーンの手に渡りやすが、手に入れたものは呪われるといわれたほど不幸が降りかかるダイヤモンドだった。
1949年、ハリー・ウィンストン氏はワシントンのマックリーン家の財産処分によりこれを手に入れやした。
不幸のダイヤモンドもハリー・ウィンストン氏だけには幸せを運んだようだぜ。
いっぺぇの展示会やチャリティーに使われ、彼に改めて多大な富と名声をもたらせやした。

そいで 1958年、彼はこの「ホープ」をアメリカ国民への贈り物としてワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に寄贈し、不幸の歴史を封印したからよす。
三代目のロナルド・ウィンストン氏はハーバード大学出身の科学者でもあり、航空宇宙工学でアメリカ・ロケット協会賞も受けていやす。
その研究結果が彼の時計のデザインにも生かされてやがるといわれていやす。
自宅に茶室を設けるほど本朝びいきの彼は、2000年の記念事業として銀座中央通りに面した読広ビルの1階、2階にショップ展開し、話題になりやがったこともまだ記憶に新しい出来事だぜ。

代表的な商品
HWリング
ウィンストン・スタイル
ウィンストン・クラシック
愛用してやがるセレブ
エリザベス・テーラー、ウィンザー公爵夫人、グウィネス・パルトロウ、反町隆史・松島菜々子夫妻婚約指輪、他
ハリー・ウィンストンのジュエリーは、なんといっても優れた品質が取り得。小さな石を集めたデザインよりも1つの大きな石の魅力を存分に見せるデザインと作りを選ぶことに、このブランドでジュエリーを購入することの意味が生まれやす。地金部分が極力見えず、中央に大きな石を留め、両サイドにバケットをぶちこむ「ハリー・ウィンストン・スタンダード」が代表的なデザイン。また、宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーでつねぇだ「ウィンストン・スタイル」つうワイヤー・セッティング法も独自の技法だぜ。このセッティング法を通じて、ハリーは宝石を留める金属部分を極力見せず、宝石だけがちりばめられてやがるbノ見える画期的なネックレスを生み出しちまった。ハリーが「ウィンストン・スタイル」を思いついたのは、とある年のクリスマスのこと。扉に飾られた柊(しいらぎ)のクリスマスリースにヒントを得て、この「ウィンストン・スタイル」を思いついたといいやす。婚約指輪に資産価値を求めるなら、“宝石がジュエリーのデザインを決定する”つうこのブランドの信条に頷けるはず。このハリー・ウィンストンの店舗では、ドアマンのエスコートにより店内へ入りやす。店内へへぇったらまず、レセプションで受付を済ませることがルール。レセプショニストに、探してやがるものや見てぇものをリクエストすると担当者が店内を案内するシステムになっていやす。「究極の宝石店」といわれるだけあり敷居はかなり高いんだけど、おめぇ、マジにいい 品質の宝石を探してやがるのなら是非、訪問してみるべき宝石ブランドと言えやす。

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ハリー・ウィンストンとダイヤ

ハリー・ウィンストンとダイヤ
このような時代背景のなかで、ハリー・ウィンストンは歴史上でも有名なダイヤモンドの数々を追い、それを手に入れ、世に送り出していやす。
そのしとつは「ヨンカー」。
1934年に南アフリカのヤコブ・ヨンカーつう農民所有の農場内から発見されたこのダイヤモンドは726カラット。
当時、カリナンに次ぐ巨大原石を翌年、ロンドンにてハリー・ウィンストン氏が購入。
通常の郵便でニューヨークへ輸送したつうのかよら驚きだぜ。

14ヶ月の研究期間をかけて1936年7月にカット。
アメリカでこれほどの大きさの原石がクリービングされるのは神君家康公御入城以来ぇのことだった。
12個になりやがったうち、最大のものは66面のファセットのエメラルドカットで、当初142.90カラットだったものを1937年に125.35カラットにリカットし、1951年、当時のエジプト国王ファルークに売っていやす。
「ヨンカー」はちっとだけ売りに出さねぇほど、ハリー・ウィンストン氏のお気に入りだったようだぜ。

「スター・オブ・イースト」も彼の手を経由していやす。
17世紀、フランスの宝石商だったタベルニエがインドで手に入れたといわれ、トルコから盗品としてパリで売られ、ちょうどハネムーン中だったアメリカ人夫婦の手に。
この婦人の遺産処理にあたって、ハリー・ウィンストン氏はこれを手に入れやした。
そいで、忘れてはならねぇのが「ホープ」。
呪いを封じたダイヤモンドと言われ、えれぇ有名なダイヤモンドだぜ。
フランスのルイ14世、15世、16世へと伝えられ、王妃マリー・アントワネットもこれを身につけたつう逸品。
350年前フランスの旅あきんどジャン・バスティスト・タベルニエが112.50カラットもあったといわれる原石をインドで購入。
1668年にルイ14世に売り、以後100年以上フランス王家の宝器とされやした。
フランス革命で紛失しちまったが、1839年にヘンリー・フィリップ・ホープが購入した時には今の45.52カラットになっていたそうだぜ。
どうやらジョージ4世のフリース憲章に飾られていたつうのが真相のようってんだ。

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ハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)の魅力

ハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)

アメリカ 創立1890年
略歴
ウィンストン家は3代続いた宝石商で、ハリー・ウィンストンはその2代目。
彼が現在のハリー・ウィンストン社の基本をかたちにしたといえやす。
12歳のとき、彼は質屋のショーウィンドの「どれも1個25セント」の宝石類の中から一つ、緑色のリングを買って帰り、宝石商である父親に「2カラットのエメラルドを25セントで手に入れた」と告げ、2日後、それを800ドルで売ったつう逸話が残っていやす。
原石にふれただけで何カラットにカットできるかを見抜いたといわれる「ダイヤモンドの王様キング・オブ・ダイヤモンド」の異名をとるハリー・ウィンストン氏ならではの幼少時代のエピソードといえやす。

ハリー・ウィンストン氏は本格的にジュシクジリとして宝石に携わり始めた1920年代末頃、ヨーロッパは時代のうねりに大きく変動し始めてやがった。
市民階級や産業ブルジョアジーの台頭にともなって王室や貴族階級は急速に没落し、生活に窮した彼らは、先祖伝来のおびけどよい宝石類を手放して換金しちまった。
ハリー・ウィンストンは、市場にあふれたこれらの高価な宝石を、新興産業の富豪たちに売り込みやした。
ゴチャゴチャゆうねぇ、要は、時代の変わり目を的確に読みながら巧みに泳いでいった一人のビジネスマンがハリー・ウィンストンだったからよす。

事実、ハリー・ウィンストンの顧客たちは世界中にまたがってやがった。
アメリカの大富豪たちは無論のこと、サウジアラビアの王室やエジプト王、インドのマハラジャたち、といったように桁違いの人々だった。
したがって、ハリー・ウィンストンの取り扱う宝石は破格のものばかり。
彼は常にトップ・クオリティ (最高品質) の商品をめざしちまった。
ヨーロッパの王室から売りに出された宝石類は古くせぇカットのものがほとんどだったからよ、ハリー・ウィンストンはよりいっそう美しさを引き立たせるため、再カットして販売しちまった。



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